読者です 読者をやめる 読者になる 読者になる

dareyorimonetai

誰よりも寝たい

おれはいつだってお前の味方だ。

久しぶりに良いテンションである。何事にも言えることだが、好きこそものの上手なれとはよく言ったもので、好きになってしまえば周りからは辛いと思われるようなことも本人には辛くなくなるし、今まで辛かった部分が楽しく感じるようにさえなるかもしれない。

 

こんにちわ、誰よりも上手なれです。

 

好き→楽しい→たくさんやる→できることが増える→人と比較して出来ていることが実感できる→楽しい→たくさんやりたくなる→成長している実感がある→好きと人に言える→得意→楽しい→得意→好き→好き、好きすきすきすきすきすしすしすしすし、、、

 

となる。ここまではみんな理解している。なるほどねってなる。それはわかるよってなる。

 

最初の「たくさんやる」まで行ければ誰も迷わない。もうそこからはプラスのループが始まっているから。もう誰にも止めることはできない。一般的にはここで普段の歩くスピードが早くなる。一刻も早く目的地にたどり着いて、自分の才能を伸ばしたいと思うのだ。もう少しでガリレオに手が届く、いやもはや俺はガリレオを超えた、俺こそがガリレイだと。

 

問題はそんなガリレイ状態になる前だ。つまり「好き」になることが難しいという状態。いや、だって楽しくないし、なんなら嫌いだし。どうやってそこのループまでたどり着くんですか?あ、わかった。どうせ頑張れとかいうんでしょ、だから自己啓発の本嫌いなんだよ、と。

 

普通の人、いわゆるこの大都会ジャパン(いや、北東のジパンゴ)というジャングルパニックを生き抜くワニワニパニックな人は思うだろう、そんなもの幻想だと、いやまやかしだと、いやいや「もののけ」の類だと。

 

そんなことを思ってしまった哀れなヒスパニック、じゃなかった。ワニワニパニックな人たちに言いたい。声を大にして言いたい。いや、むしろ声を小にして寝起きの耳元で囁きたい。

 

やるしかないよと。

 

なんて救いのない、と思った人もいるだろう。結局根性論じゃないかと。しかし待ってほしい、ウェイトしてほしい。ホールドオンしてほしい。ちょっと待って、ブラウザを閉じないで、話を聞いて。

 

平成に生まれた僕らは根性論という言葉を忌避する傾向がある。嫌悪していると言ってもいいかもしれない。

 

それは決して僕ら個人個人のせいではなくて、生まれた時代がそういう根性論を否定する流れだったからで、決して自分を責めないでほしい。大丈夫だよ、僕はここにいるよ。

 

でも根性論という言葉に流されて、根性という一番大事な気持ちを忘れてはいけない。根性そのものが悪いことだと思い込んではいけない。本来根性あるなっていうのは、褒め言葉だったはずだ。

 

確かに「嫌なことを頑張ってやること」=「根性」という図式はあるけれど、でも何かを得たいのであれば何かを捧げなければいけないんだ。あれもほしいこれもほしい、でもこれは失いたくない、あれもやだ、何も失いたくない、ただただ得る人生にしたいっていうのは、誰がどう考えたって無理な話で。

 

この世の中は平成になったって等価交換が基本だ。次の元号になってもそれは変わらない。何かを得るためには、何かを差し出す必要があるんだ。

 

でもそんなに怯えなくてもいい。時代はものすごいスピードで進化している。何かを得るために指を差し出す必要はない。自分の娘を差し出す必要もないし、血を抜き取られるわけでもない。

 

この世は(少なくとも神の国ジパンゴでは。あ、日本のことね)資本主義なのだ。金があれば大抵の悩みは解決する。じゃあ金がないって?大丈夫だ。世界は進化しているっていったろ?昔は最初の一歩が大変だった。富を得るには情報が必要で、その情報へのアクセスが限られていたからだ。

 

でも今はそうじゃない。情報はインターネットを通して、誰にでも開かれている。富を得るには情報が必要だ、そして情報にアクセスすることは容易い。誰にでも可能だ。図書館に行けば無料で使えるパソコンがある。街を歩く大半の人がモバイルを持っている。

 

じゃあなぜ、なぜ貧富の差は無くならないのか。得る人と失う人がいるのか。それは情報にアクセスしたかどうかだ。その手間を惜しんだか、惜しまなかったかの違いだ。そしてそこに出てくるのが、根性である。

 

たまにでもいい。根性出して、情報を取るように心がければ、そこから何かしらの突破口が開ける。知識はあなたの考え方を変えてくれる。

 

だから最初の根性。そこだけを意識して。そして根性出してやり続ければ、必ず楽しくなる時が来る。死ぬほど嫌なことでも、人間は慣れる。好きになることだって可能だ。

 

でも時間の感覚を間違えないで。じゃあ3日頑張ってみようとか、取り組むジャンルにもよるけれど、何かを得たいと思ったら、そしてそれが自分にとっての最初の一歩なら、3日じゃ恐らく足りない。普通は1万時間とさえ言われているんだ。人が周りの人と明らかに違う能力を得るためには、1万時間が基準と言われている。

 

でもいきなりそこを目指せとは言わないよ。だからせめて、せめて1ヶ月頑張ってみよう。必ず変わる。自分の中で変化に気づく。1ヶ月懸命に生き、取り組めば、必ず変化が起こる。そしたらチャンスだ。変化を楽しめ。もっとやれ。

 

1ヶ月やって振り返ってみたら、後ろには自分が懸命に歩いてきた道が見えるだろう。まだゴールは見えない?じゃあもうちょっとやってみようよ。せっかくここまできたんだから、もしかしたらゴールは次の曲がり角かもしれない。

 

その時に踏み出す一歩は、最初の一歩と比べれば、なんでもない、気軽な一歩のはずだ。根性なんていう文字が浮かんでこないぐらい。あとちょっと頑張ってみっか。それぐらいの気持ちで踏み出せるはずだ。

 

そして気づいたらあなたはだいぶ先に来ているはずだ。後ろを振り返れば、過去自分がいた場所がよく見えることだろう。へー、あんなとこにいたのにぐちぐち悩んでいたのかって、そう思えるはずだ。

 

そこまで来たらもう大丈夫。今まで進んで来た道のりは絶対に無駄にならない。あなたはどんなジャンルの、どんなに今までと違う道を歩くことになっても、途中からスタートできる。すでにいくつかの武器を持った状態でスタートできるんだ。

 

だから大丈夫、死ぬほど頑張ってやった結果は、びっくりするぐらい自分を助けてくれる。過去の自分は常にあなたの味方だし、これからのあなたは常に過去の自分を救ってやれる存在なんだ。

 

それを忘れないでほしい。一体誰に向けて書いてるんだって感じだけど、間違いなく過去の自分に、そして今の自分に、そしてまた悩み散らかすであろう未来の自分に向けて言いたい。おれはお前の味方だと。

 

だから頑張れ、おれはいつだってお前の頑張りを見ているぞ。大丈夫。お前ならできる。おれはそう信じている。

 

もう一度言おう。お前なら、できる。

 

現場からは以上です。

(2794文字written by phone)